村名、旧大字名・小字などの地名から、地区や地域の地形や地目、土地の造作や改変、その名づけられた時代や歴史的背景等々を知る手掛かりが見つかることがあります。またその地名自体の変遷や組み合わせ、あるいは細部表記の「地藉図」(旧公図)からは土地の使われ方や地域の成り立ちさえ類推することが可能となったりします。つまり、地名等は「土地の履歴や由緒」を示す「サイン」であり「肩書」とも言えるかもしれません。
三鷹市域には数多くの旧字名、古地図などが残されています。三鷹市では、これらは他のいろいろな文化財と同じように、貴重な歴史的遺産や文化財のひとつと考え、今回「まっぷ」を作製することといたしました。単なる名称としてではなく、地域や地区との関わりが強い「史料」だけに、地図上でご覧いただけるようにしたものです。さらに詳しく知りたい方には、このトップページの文末には解説図書、地図類、それに地名・旧字名の一覧表を用意しました。なお、まっぷ上は旧漢字での標記が難しいものは、対照表で補完しています。合わせて参考にしてください。
本「まっぷ」は下の地図を元に2枚(層)の地名地図(A・B)を用意しました。
A:昭和14(1939)年、帝国市町村地図刊行会発行の『東京府北多摩郡三鷹村土地法典』(全18枚構成。約1/600)。
B:昭和63(1988)年、三鷹市市民課発行の『住居表示のあらまし』(付図。約1/ 1万)
三鷹市で現在使用されている住居表示は、他の殆どの自治体と同様ですが、「街区方式」と「道路方式」の2種あるうち、道路・河川・鉄道など比較的恒久性の強い施設で適当な大きさに区切る「街区方式」が採用されています。そのため、歴史上の由緒や、親しみ深いものなどを選択する方式だけに、より旧来の「旧町名等」は継承されてきました。そのため、今回のまっぷ作製における特に「区画線」は道路や河川を表記している現代地図をベースにした場合でも、おおよそは同様なものと考えています。
まっぷAは、測量の精度や測量方法は現代とは大いに異なる元図を使用しています。かりに線形が違っている場合でも境界線だけを抜き出し、現地図にできるだけ沿うように描いたものです。まっぷBも、元を辿るとおそらく同様な方法と思われます。そのため、厳密にみると特に下記に列挙した事項によって異なる線や区画があるものと考えています。利用に際しては、こうした点をご理解のうえで活用戴ければ幸いです。よって、本まっぷ上では、あまり「拡大して見る」ことはできませんので、ご了承ください。
『新編武蔵風土記稿』『武蔵名勝図会』『武蔵野歴史地理』などの地誌類
明治期発行の迅速図、大正~昭和期の測図、地形図(現代版は多数あり)
大字 | 小字 | 大字 | 小字 | 大字 | 小字 |
---|---|---|---|---|---|
大澤 | |||||
下畠 | 下連雀 | 橋上北浦 | 新川 | 天神前北浦耕地 | |
八幡 | 橋上南浦 | 天神山 | |||
羽澤 | 橋下南浦 | 東 | |||
野水 | 橋下北浦 | 瀧坂 | |||
坂上 | 原屋敷 | 北野 | 天神前 | ||
原 | 牟禮 | 古判塚 | 水無 | ||
坂下 | 西原 | 谷端 | |||
出山 | 向原 | 長久保 | |||
武蔵野 | 南原 | 給田境 | |||
上石原 | 武蔵野 | 下本宿 | 西山谷 | ||
坂上 | 東本宿 | 狢澤 | |||
野﨑 | 吉野西 | 中本宿 | 中仙川 | 内出 | |
吉野南 | 上本宿 | 内出瀬戸 | |||
吉野東 | 髙山 | 西原 | |||
吉野北 | 山﨑 | 中嶋 | |||
深大寺 | 曽弥 | 玉川上水跨 | 中原 | ||
東野 | 井之頭 | 上耕地 | |||
居村 | 井ノ頭池水門 | 中西 | |||
西野 | 玉川通 | 東 | |||
井口新田 | 通南 | 神田上水源 | 西谷 | ||
通北 | 神田川通 | 羽毛 | |||
南横丁 | 神田川東通 | 飛地 | |||
矢ヶ﨑新田 | 玉川通東 | 瀧坂 | |||
上連雀 | 山中南 | 新川 | 西台 | 下仙川 | 屈曲 |
通南 | 長久保 | 烏山 | 飛地 | ||
通北 | 長嶋 | 小金井 | 二枚橋下 | ||
新道北 | 本村 | ||||
堀合 | 南台 | ||||
狐久保通北 | 島屋敷 | ||||
狐久保通南 | 谷端 |
デジタルまっぷでは元々の漢字標記が難しいものがあります。旧字はこちらの表を参考としてください。
色凡例 | 旧表記 | マップ上の表記 |
---|---|---|
橋上南浦 | ||
橋下南浦 | ||
武蔵野 | ||
牟禮 | ||
瀧坂 |